精神科の風景  Vol.1

 内科や外科と違い、精神科は色々ある。

 病院に寄っても違うが、余裕が無い病院の看護師は看護師と言うより、監修と化して

薬を飲んだか、患者の口を開けさせ、覗きこんだり、認知症の老人にテレビを観ながら、スプーンでお粥を口に差し出したりしていた。

 私はDr.から

「君は本を読みすぎで、東大生より知識があって、治療しにくいから、本を全部、お母さんに持って行って貰いなさい」

と言われ、別冊マーガレットだけでボロボロになるまで、読んだ。

 まだ、刑務所の囚人の方が本を自由に読めるので、ましだと思った。

 鍵は掛けられ、当時煙草を吸っていたので、男性は制限ないのだが、女性だけ、一番早くてam6時に5分だけ一服出来る。

 ベテランになると、5分で、二本吸える。

 煙草を親から禁止されている子は人の吸った溺れを貰い吸う。

 私は朝が弱かったので、一番目には吸えなくなっていた。

 そして、ご飯当番とかあったが、私だけ、仕事のし過ぎで、入院したから、Dr.が、当番をしなくても良いとなり、月曜日の喫茶店だけ、少し賃金が貰えるので、働いた。

 その時と、外出届けを出した時だけ、自由になれる。缶コーヒーも買える自由が無い。

 月一で床屋さんが来てくれて、顔剃りと髪を切って貰える。カミソリは持たせられないので、毛深い人は髭がはえて来る。

 お風呂は週二回で、髪を洗うのは洗面所だ。シャンプーしたら、部屋にある表に丸を付ける。

 たまに一階から、三階まで、走らされる。

 毎日、朝と夕方にラジオ体操をさせられる。全てさせられる、だ。

 世間と離れた生き方をしているから、当番で、仕事を知り、階段昇降やラジオ体操で、身体をなまらせないようにさせられる。

 自由等無い。刑務所の方がまだ、ましだと思った。

 早く出たくて、でも、病状はまだまだだ。

 一生此処で過ごす方も居る。

 中央に公衆電話があり、10円玉を20枚くらい持って、病気になったのはアンタのせいだと、毒親の母に毒づいたりもした。

 そこの仲良くなった看護師さんに、Tと言うミュージシャンも、統合失調症だと教えてもらった。

 だから、鬱になった時の落ち込みを躁になった時に創れるから、暗い歌からアップテンポの音楽まで、創れるのだと。

 実は精神科は旭川が優秀な先生が多いと聞いたので、今、地元に住んでいるから、治療しながら、稼いだお金で暮らしているのだろうなと。

 安定剤が合わないと、目が上を向く症状になるのだが、初めて入院した大学病院では副作用止めの注射を打って、対処したのに、K病院では看護師さんが気持ち悪がって、何もしないので、私がその子の手を引っ張って部屋まで、連れて行ってあげた。

 入院しながら、何か変だぞ?と、感じていた。

 K病院はベッドも狭く、よく私はミノムシみたいに、掛け布団に丸まって床に落ちて寝ていた(笑)。

 そこで余り自由が無く、爆発して退院してしまった。

 母はそこのDr.に

「お宅の娘さんが死のうがどうなろうが、関係ない!」

と、言ったらしく

「もう、この先生は駄目だ!」

と、珍しく怒っていた。

 大学病院が一番良かったが、入院費用が高いし、病院もビジネスだ。ベッド数を循環させて、稼がなくてはいけない。一人長居は出来ないのだ。仕方ない。

 私の病院ジプシーはまたまた続く。