何故に私が?

 学校で、合唱コンクールを良くやるでしょう。

 私はコンダクター(指揮者)をやりたかったが、ピアノを習っていたので、いつも伴奏をやらされた。

 本当は歌いたかったのに。

先生が

「ピアノ習っている人、手を挙げて~」

と、必ず4、5人手を挙げた。

「それじゃ、中田さんにやってもらいましょう」

いや、まて、私より巧い人がいると言っても、何故か、私が選ばれる。

 小学生から高校生まで、全て伴奏。

 高校は女子校だったので、必ずコンダクターが泣かされるというジンクス的な事がある。

 高1の時、練習中に倒れた人が居て

「休憩入れない貴女が悪い」

と、皆、吹奏楽部で選ばれたコンダクターに言って、その子が泣いてしまった。

 中間の私は慰めながらも、頭を使って

パート練習をしよう」

と言いながら、その場をしのいだ。

 私は自分のピアノコンサートだと、必ずと言っていい位、間違える。

 でも、平気だったが、ピアノの先生はハラハラドキドキだったと思う。

 中学生になった頃、辞めて欲しかったのだろう。ピアノの先生の家をピンポン鳴らしても、出てきてくれない。

 私は向いて無いのだと、部活も忙しくなるので中学で習うのを辞めた。

 家で日中ピアノを弾いてると、ご近所さんから

「素敵な音楽が流れて来るなと思ったら、中田さん家ののぞ美ちゃんのピアノだったのね!」とか、音楽の先生の家でピアノを弾いてると

「さっき、家の息子が帰って来て、何レコード掛けてるの?と言ったのよ。中田さん、上手だから」

と言われるが、ピアノの先生に

「そんな弾き方だと、駄目!」

と言われ、手首を掴まれ回すように弾くのだとか、手を叩かれたりしたので、ピアノ恐怖症だったし、下手だと思っていた。

 フジコ・ヘミングさんはインタビューで

「楽譜からはみ出る位がいいのよ」

と言っていた。

 清塚信也君は

「学校なんか行く暇あったら、ピアノを弾きなさい」

と、言われていたと聞く。

 X Japanの佳樹君のピアノを観た時

「私も、少し練習すればアレ位弾けるわい」

と、思っていたが、武部聡志さんのピアノを観た時、向き不向きがあるのだなと、思い知らされた。

 佳樹君はボーカルのTOSHI(今は改名したらしいが)君が歌っているのに、俺がピアノ弾いているんだと云わんばかり、俺を映せ!と、ピアニシモをフォルテ位で弾くのだ。

 私は伴奏なのだから、もう少し押さえて弾けばいいのにと感じていたが、武部さんは声量の弱い人を瞬時に見分けて、押さえて弾く。あくまで黒子に徹するのだ。そして、ピアノだけのところを見事にバーンと弾きこなす。

 年齢は関係ないと言うが、私は4才からに対して武部さんは3才からやっているというから、敵う筈が無い。

 そりゃ、今から寝る、食う、トイレ行く以外ピアノを弾き続けたら、少しは上手になるだろうが、他にやらなければいけない事がある。

 プロになれなければ練習する必要性を感じられ無いのだ、私は。

 音楽は音を楽しむはずだが、一番以外は全て駄目だと考えてしまうから、ピアノやギターに向かえない。

 一時期、音楽が全く聴けなかった時がある。1990年代の歌は全て聴けなかった。単なる雑音にしか、聴こえなくて、吐き気がした。

 聴けたのはクラシックか洋楽のパンクか、SOFT BALLET位しか、聴けなかった。

 THE ALFEEも、CDは買って(あげて)いたが、一度聴いたら置いておいた。

 俊彦が堂本兄弟やTΧ2 showをTVでしていたのも、分かっていたが、こちらは違う理由で観れなかった。

 女性ゲストとお話されただけで嫌だからだ(笑)。

 焼きもち焼きなので、寂しくなってしまうのを知っていたから。

 音楽は一時期

「こんなんでプロになれるのだ~?まだ、他に上手い人がいるのに・・・・・・」

と、落胆してしまった私だった。

 だから、プロより、アマチュアの方がお金貰えない、若しくは出して演っているので、メンタル強いなと感じる。

 どんな世界も、お金を稼ぐのが、成功者と言うなら、一握りの人しか、成功出来ない、世の中だ。

 違う職種になると、誰もが新人だし、60代の方が10代の子に越される事もある。

 それで、ふんずり返っている子は好きになれないが、必ずしも実力があるからと言って成功出来ない。

 運も実力の内とは言うが、裏の手を使う人もいる。残ったのが、本物と言うが、ずーっと裏の手を使い続けている人は成功者だろうが、友達になりたくはない。

 私も、実力以外で仕事を取られた事がある。私より、仕事が出来ないし、する気がないのが、正直頭に来た。

 でも、黙っていた。黙々と働いていると、皆が複雑な顔をする。

 皆、理由を知っていたし、私が働くから何も言えなくなるのだ。

 どこの世界でも、汚い手を使う人はいる。

その汚れた手で創って、奏でる曲は果たして美しいだろうか?