ぼんやりとした不安 Vol.2

 目が覚めてJ先生が

「9日間、眠っていたぞ~。肺炎になっているから、水もまだ駄目だからね」

と言って病室を出て行った。

 母がやって来て、笑いながら話して、私は「自分の娘が自殺しようとしたのに何とも感じないのか?」

 と、憤ったが、母は泣けない人だった。

 当時、母の考えている事を知りたく、交換日記をしようと、私が提案した。

 母が亡くなり、片付けをしていて、交換日記の一冊が手に落ちた。

 読むと、私が未遂した時、母が書いた文が目に入った。

 のぞ美が様子がおかしかったので、J先生に電話して、救急車を呼ぶと、病院でも呼んでいたらしく、2台来て、警察まで来て驚きました。

 2日目、

 のぞ美がチューブだらけで痛々しいですが、命は大丈夫だと言われて良かったです。

 3日目、

 お金が無くなり、自転車で行こうと思いましたが、事故に遭ったら大変です。バスで向かいましたが、のぞ美はまだ、眠ったままです。

 等書いてあり、親不孝したと、心から悔いた。

 母の遺骨を私が持って良かったと。もし、逆なら母にとんでもなく辛い思いをさせただろうと。

 9日間、意識が無く、食事どころか水も駄目で、酸素吸入器をして、2週間ベッドの上に居た。

 大変なのはこれからで、2週間も、横になっていると、筋肉が落ちてまともに歩けないのだ。

 てんとう虫と言う寝間着に付けて、それが外れたら、ナースステーションにブザーがなるようになっていた。

 お手洗いは部屋の中にあったが、其所に行くにも、ナースコールを鳴らさなくてはいけない。

 逆に悪くて一人で行こうとすると、てんとう虫が外れて、ブザーが鳴り

「中田さん、ナースコールを押して下さい!」

と、怒られた😢⤵️⤵️。

 私の便を受け取ってくれた男性看護師さんが、気になり、深夜勤の時、私は寝間着を取り替えなくてはいけない位、汗をかくので、ナースコールを押して、替えの寝間着を持って来て貰った。

 「おいくつですか?誕生日は?」

と、さりげなく聞く私。本当に懲りない自分が情けない(笑)。

 今は亡き友人に、薬を飲む時

「今まで、本当にありがとう」

と、メールを送っていた。

 彼女はpm8時には眠ってしまうので、携帯の電源を切るらしく、朝6時に起きてメールを見て、家まで来てくれたそうだ。

 職場が通り道だったので、家族以外でも面会OKになった時、毎日お見舞いに来てくれた。

 私の手を握り涙目になり

「何も言わなくていい。ノンさんが、生きていて、本当に良かった」

と、J先生に聞いて売店から、ハーゲンダッツのアイスを買って来てくれて、一緒に食べた。

 今は逆に彼女がこの世には居ない。私は何の役にも立たなかった。悔しい限りだ。

 日記を読み進めると

 薬を大量に飲んだとの事で、警察の方が

「何錠、飲んだのですか?」

と、訊かれたが、分からず、何故そういう事をしたのか?と、分かってまた、驚きました。

 と、書かれてあった。私が自ら命を絶とうとしたのを、5日目に知ったようだった。

 10年前に入院していた病院だったので、知っている看護師さんが居た。

 20代の私と母は喧嘩ばかりで、仲が悪いと、後輩看護師さんに伝えたらしく、退院する時、私には

「何かありましたら、いつでも来て下さい」

と、言ってくれたが、母が書類の書き方をその看護師さんに訊くと

「私は分かりません!」

と、突っぱねた。

 私は心の中で、あの頃よりは仲は良いよと思った(笑)。

 父から電話が来て、本当に心配したのだろう。

「死んでみてどうだった?楽しかったか?」

と父は逆説的に話したので、本当に申し訳ないと思ったが、N君の事が引っ掛かったと言うと

「そうか~」

と、声が落ちた。