私の父
父は説教垂れだった。
「お前も、その年になったら、万年筆を使いなさい」
と、函館から、N.NOZOMIと刻印された、万年筆が送られて来た。
お礼に手紙を出すと
「行間を開けること。言葉が稚拙過ぎます」
と返って来た。
ある時
「お前も、日本人なら、ここに書かれてある事位、暗記しなさい」
図書カードを送ってくれたら済む事なのに、態々送料掛けて。
幼稚園の頃
「英語で林檎はなんと言う?」
と訊かれたので
「アップル」
「う~ん、間違っていないけど、それじゃ通じない。アプーと言うんだ。言ってみろ!」
に、自信なさげに3回くらいで、合格をもらった。
いつも、父からの手紙は
「天を観て地に足を感じる事。世間の目、社会の目、そして自分の心、プラス法律、決して忘れるな!」
等、学校の校長より厳しかった。
「他人(ヒト)は人。自分は心の奥の自分の声を聞け=自分で責任を取る事」
と、他の人は皆、先生と思いなさいと。
いい人を見たら真似て、嫌な人は反面教師として考える事。
年上は敬い、年下には尊敬の念を持ち、男に媚びを売らず、自分の足で立てと教わった。
ある本を読んで
「こんなので、本にして金取って詐欺じゃないか?三島を越えてから、本にしろ!」
と、怒って捨てた事もある。
余り人を褒めない人だったが、プロレスを観ながら
「ノン、この古舘伊知郎って、面白い奴だな!」
と、珍しく言ったので、幼稚園の頃にいっちゃんの存在は知っていた。
NHKのアナウンサーに
「こんなんで、NHKにいるなんて受信料かえしやがれ!」
と晩酌しながら管を巻く人だったので、いっちゃんは凄い人だと思っている。
父の良いところは大会社の社長だろうと、ソープランド嬢だろうと、態度を変えないところだった。
一緒に歩いていると、必ず
「〇〇さん!お久しぶりです!中田です」
と多分向こうは私をまた違う愛人だと思い、躊躇うのが、私は分かったので
「娘ののぞ美と申します」
と言うと、ホッとした顔と、大きな娘がいるのに驚いていた。
最初のホテル勤めは父の関係の会社だったので、皆、父を知っていた。
ある時、先輩の男性社員に
「お父さんと結婚すれば?」
「だって、父ですよ」
「いいじゃない」
にビックリした。
ある年齢になると、娘が
「お父さんと同じ洗濯は嫌!」
と、父を毛嫌いする。
それは近親相姦を避ける為、父親の匂いを娘のDNAに嫌いになるようにと組み込まれているお話は皆さん、ご存知だろう。
私は父親としては認めれたが、母の旦那としては嫌だった。
尊敬という感情と、亭主としては不実な父が許せない気持ちで入り交じっていたから、複雑だった。
だから、口うるさい父に
「分かったってば!」
「はい。だろう?」
といつも喧嘩になってしまう。
外に女作って父親ぶるな!と感じていた。
父との最後の会話も喧嘩別れだったのは今でも悔いている。
娘に取って初めての異性は父になる。
プリンセス・プリンセスの歌でパパと言う歌があったが、大嫌いで流れてくると、耳を塞いだ。
私なら、父に似た人とは付き合いたくない。普通の幸せな家庭に育った子供の歌だから、吐き気がする。
だから、私が好きになる人は誠実な人だったが、寄ってくるのは遊び人ばかり。
父を見て来たから、遊んでたのを隠しても匂いで分かってしまう。
だから、独りで結構と嘯いて(うそぶいて)今日も終わる。
人として、真心で人を愛して行こうと決めている。