流動的なもの

 何をやっても良いという事業所に通っていた頃。

 母が施設で骨折したという、知らせが届いた。

 私は病院へ行くのにタクシーを使っていた。

 今日、私の受信日だった。

タクシーを呼ぼうと、スマホを見ると、電源切れ。

 「10円出しますから、電話を貸して欲しい」

と言うと

「それじゃ、みんなと平等じゃなくなる!」

と言われたが、こっちは急用だ。

一刻も早く、母の病状を知りたいし、自分も病院に行かなくてはいけない。

「今回だけだからね!電話番号調べるから、パソコン見られたら、困るから、向こうに行って!」

と言われ、動悸と身体が震えてきたので、薬を飲んだ。

 「はい。電話!向こうで話して!」

と言われて、電話を掛けて、場所が分からないから、詳しく教えてと、タクシー会社の女性に説明した。

「まだ、終わらないの?」

と、横やりを入れてくる。

 話し終わって電話を返した。

「もう、こういう事は駄目だからね!」

と強い口調でいう。

 私はタクシーの中で泣いてしまった。

もし、携帯を持っていない人だったらどうなるのだろう?

 病院に着き、J先生が

「緊急事態なのだから、その人へんじゃない?

お母さんの病院何処?パソコンで調べるから。公衆電話を使って」

と言ってくれた。

 後日、ケースワーカーさんに事情を話し、行かなくなった。

 J先生がその人だけなら、良いけど、会社自体がそうだっら、考え直した方が良いと言う。

 社長が女性で、良い会社だなと、感じていたが

「また、来て」

とメールが来たが、電話の件については常識の範囲内でね、と言う。

 常識って何なん?

 私の常識と、あなた方の常識が違うのでしょう?

 常識とは流動的なものだから、人それぞれ違うんじゃないか?

 事業所は対人恐怖症の人も受け入れますとうたっているなら、何であんな口調と理由で怒られなくてはいけないのだ?

 会社の電話を使うのが、駄目なら、公衆電話位、置いておけよ!

 こっちは緊急なんだそ!

と言いたかったけど止めた。

 常識とは流動的なもの。

私が辞める事にした、

悪いのは私だろうか?