親孝行は3つまで
私には子供はいない。
結婚はイメージ出来なかったが、幼い頃、男の子を11人産んで、サッカーチームを作るつもりでいた。
今は疎遠になっているが、お子さんを大学まで、育て上げた同期の女性がいた。
私は子育て=大人になっているとばかり思っていた。
だから、私の複雑な家庭環境も、学生時代には言えなかったが、もう、大人なので理解してくれると感じて話した。
「確かに大変だったけど、良い事もあったでしょ?」
に思わず
「はい~?」
となり、当時、認知症の母の介護で疲れていたのもあり
「もう少し、大人になっていると思っていたよ!」
と言ってしまった。
こっちは子供のオムツを取り替えた事も無いのに、親のオムツ取り替えてるんだよ!
いくら母が小柄だといえ、35kgを片手で持ち上げる事は出来ない。
「腰上げて」
と言うと、母は母なりに一生懸命、背中を上げる。
「腰はこっち!」
と、母の腰をポンポンつつく。
朝にお昼の分のご飯を冷蔵庫に入れて置いたら、3口だけ、かじった跡があり
「あれだけ、お腹空いたら、私に言ってと言ったよね?」
に母は食べてないと。それも、本当だ。だって、食べた事すら、忘れているのだから。
そして、私にのぞ美は何処?と訊く。
「私がのぞ美よ」
「嘘!あなたはのぞ美のお父さんでしょ?」
からはじまり
「そこの八百屋の〇〇さんがΧΧさんとどうしたんだっけ?」
「そこの八百屋って、何処?〇〇さんって、誰?ΧΧさんは何?」
と訊くと、3、4歳時が初めてマツコ・デラックスを見た時にするであろう、瞳を丸めて、キョトンとする。
私は何がなんだかわからずに、あとは
「何言っているか、さっぱりわかんない!」
と、笑うしかないのだ。
その友人曰く、それは貴女が決めた事でしょ?私は親の面倒みないから、にあんたは次女だから、言えるのであって、一人娘の私はどうすれば良かったというのか?
親が認知症になって面倒みたくありませんと、赤の他人は娘の貴女が診なさいよと言うだろう。何処にも逃げ場が無い、私の気持ちは分から無い位、その友人はお子ちゃまだった。
「家の息子も一人っ子だよ。私、面倒みてもらう気ないもの」
旦那がいる身だからだよ!
シングルマザーで、あんたに何かあったら、息子さんは探し出されて、お母さん、何とかしてくださいと、言われるように、この国はなっているんだよ!
普通に結婚して、浮気もされずに働いて来てくれる旦那がいる保護の元で暮らしている友人に私の大変さを分かれと言うのは幼稚園児に東大模試を解けと言っている事だと、私は気付いた。
彼女も自分が悪いと感じたが、プライドがあり謝れないでいるのが、分かったので、来るもの拒まず、去るもの追わずでいるから、気が向いたら連絡してねと、距離を置いている。
この年になると、20歳年下の看護師に注意される。
その事を亡くなった友人のお母様に話すと
「私は娘に育てられました」
と言った。
モノは考えようで、子供に育てられたと言うが、子供がいない人は育っていないのだろうか?
違うだろう?
子育てしても、私の友人みたいなお子ちゃまもいれば、一生独身で、子供を育てた事の無い人にも、大人な方はいる。
父が生前よく私に言っていた。
「のぞ美、親孝行しようと、思うなよ!お前は3歳で十分、親孝行したんだからな!」
と。
私が産まれる時に母を取るか子供を取るか、医者に迫られ、どちらもに賭けたそうだ。そして、どちらも無事だった。
父がお風呂に入れ、抱くと泣き止んだそうだ。
だから、もう十分、親孝行してもらったと言った。
父からの手紙は全部取ってあるし、母がいつ書いたか分から無いが、古いソファーを業者さんに捨ててもらった後から、チラシの裏に母が鉛筆で
「神様から、とっても、素晴らしい娘をいただきました。彼女は自分が病気なのに、結婚もせず、私を診てくれて言葉もないです」
と、書いてあった。
母は認知症になり、栄養点滴だけで、生きて、眠ったまま逝った。
私に人が老いて死に向かう姿を、身を持って私に見せてくれたのだと、今は感じている。
だから、痛いのや苦しいのは嫌だが、あちらの世界に逝く事は不思議と怖くない。
母の介護をし終えた時、私は大人になったと感じた。