私に近づくと、ケガするぜ❗

2022.6.29

 

 私は自分の事を話すのが、一番の苦手だ。

ブログを書いているのにどこが?と、思うだろうが、本当の自分は自分でも、分からないのだから、人様に解る訳がない。

 全てさらけ出しているようで、自分自身については何も語っていない。

と言うよりは語れないのだ。

 自分の恥部を自分が見れないように、赤の他人に解る筈などないのだ。

 多分、この先も、愛する人に巡り逢ったとしても、その人にも、伝えられないだろう。

 哀しいかな、それが私だ。

 精神病になり、一番の治療は何よりも、自分の苦しみと向き合い、それをDr.やカウンセラーや看護師に伝える事だ。

 産みの苦しみより、まだ、私にとっては辛い事だ。

 今のところ、一番の理解者はJ先生だ。

しかし、J先生でも、分からない私がいる。

 私にだって分からないのだから。

J先生の良いところは私が気付いていない私を引き出してくれるところだ。

 私は物怖じしないと、自分で思っていたが、ある時、J先生が

「自分の思った事を自分で、言いなさい」

と言われ、私はハッとした。

 ありきたりの事しか、話せていないのだと。そして、矢張、自分の事を話すのが、苦手な事を。

 それから、ノートに書いてJ先生に渡している。一人交換日記みたいな感じだ。

 汚い字なので、自分でも読めなくなる時があるが、J先生は

「あの時のあの事、本当?」

と、ピンポイントに訊いて来るので、きちんと読んでくれているのだなと、感じる。

 そして、会話は政治から芸能まで、様々だ。J先生と、離れて違うDr.に診てもらった事もある。T先生とK先生とM先生だ。

 それぞれにタイプが違うので、私は多方面から、自分を見れる様になった。

 それだけは病気をして良かったと、感じる。

 色々な患者さんも、見て来た。

だから、ちょっとやそっとの事では驚かなくなった。

 そして、感情が、駄々漏れたり、逆に何も感じなかったりする。

 その時飲んでいる薬のせいもある。

鬱気味な時は揚げる薬を、躁の時には押さえる薬を飲み、副作用止めも飲む。

 色んな人に出会ったので、一人、一人で、50冊位の本に出来るから、ネタは尽きない。

 だから、私のブログは終わらないだろう。

小説も、7冊位書いた。ここ3年くらいは訪問看護さんや、ヘルパーさんに読んでもらって、率直な意見を伺う。

 一番、気付いてくれたのが、本を読むのが、苦手だと言う、久美子さんだ。

 私の会うと、逢うの文字の違いや

「何で〇〇はああいう終わり方をしたのだろう!」

と、作者を前にして、感情露に(あらわに)怒るのだ。

 私は物語りだからと、諌める(いさめる)が。単純に嬉しかった。

 何の反応も、示してくれない人を私は信用しない。反対意見でも、言ってくれる人を私は信じる。

 「特に何も・・・・・・」

と言う人は私が社長ならば、雇わない。

 私が腹が立っても、言ってくれる人を採用するだろう。

 歳を重ねると、皆、自分に都合の良い人を集めたがる。所謂、取り巻きだ。

 そんなもん集めて、自分に何があると、言うのか?

 自分を煽て(おだて)、祭り上げてくれる人々に囲まれて、一体何になるのだろう?

 その時は気分は良いが、裸の王様だ。

陰で、笑われているのに、本人が気付いていない。

 私はそんな人間にはなりたくはない。

だから、人に対しても、老若男女問わずに言う。そして、切れられたり、嫌われたりするが、私が嫌われても、その人が、いつか、気付いて良い方向に行ってくれたら、良しとしている。

 しかし、私の中でも譲れないものがある。

ところと言った方が良いだろう。

 私の心の中に土足で、ドカドカ入って来る男性は許さない。

 どんな事をしても、私はそれを阻止する。

 私の中では、それが礼儀だったり、音楽だったり、感性だったりする。

 そういう人には口も利きたくなくなる。

デリカシーがないと言ったら、解りやすいだろうか?

 時には笑えない、冗談がある。

私は昭和世代だから、今の若い方より、下ネタにしろ、許容範囲は広い方だと自分で思う。

 この私が、受け入れられないのは、世の女性達が受け入れれる筈がない。

 私はこう見えて、怒るのには割りと遅い方だ。だから、私を怒らせたら、どれだけ酷い事をしているのか、男性達は気付いてもらいたい。

 私はこうと決めた事は、絶対に譲らない。

それを踏まえた上で、皆さん、私に近付きなさい。