亭主関白

2022.8.10

 

 私の父は母より、5っ年下だった。

父23歳、母28歳の時、私が産まれた。

 父は医師に

「奥さんを取るか、お子さんを取るか」

と、訊かれ

「どちらも、お願い致します」

と、妻と子供をいっぺんに無くすかも、知れないが掛けたそうだ。

 私が産まれた時、ベッドは満床で、母は病院のソファーで、看護師さんに、産まれるタイミングを待たされたそうだ。

 「何回も、お手洗いに行きたかったわよ」

と、私に言った。

 私は本当は5月8日に産まれる予定だったが、4月16日に産まれた。赤ちゃんの頃から、せっかちだった。

 いわゆる、早産で、産まれた時、青白い顔をして、泣かなかったから、お医者さんが、足を持って、逆さまにして、お尻をペンペン叩くと、ようやく

「ふわぁ~」

と、泣き、みるみる赤くなり、毛むくじゃらで、本当に猿みたいだったから

「女のお子さんですよ」

と言われて、抱かせてもらった時に、母は

「嘘でしょ❓」

と、毛むくじゃらだが、髪の毛がなかったので、女なのに禿げたら困ると、10歳まで、一度も、髪にハサミを入れさせてもらえなかった。

 私の髪はポニーテールをしても、お手洗いの時に困る長さになった。

 父は言う。

「俺がお風呂に入れてやったら、泣き止んだ」

と。そして、保育器に入れられた、私を見て

「家の子が一番かわいい」

と。親バカもイイトコだった。

 父は母に

「陽子。メシ!」

「陽子、フロ!」

しか、言わない人だった。

 母も母で、メシと言われたら、食事を出し、フロと言われたら、バスタオルと、新しい下着と、浴衣を準備していた。

 私が、大人になって思う事は、いくら結婚相手だからと言って、5つ年下に

「のぞ美!」

と言われたら

「誰を呼んでいるんだ❓フロもメシもお前が出せや?」

となるから、父も父だが、母も凄いと思う。

 5つ年下ならば、さんを付けろよと、年上でも、さん付けを希望する私だ。

 即効

「家に帰らせていたたきます!」

となるだろう。

 挙げ句のはてに、やれ味付けが、濃いだの薄いだのと言われたら、アッパーパンチを喰らわせる❗

 しかし、母は献身的に父に尽くした。

それが、何故かは分からない。余程、弱みを握られていたのかと思うほどだ。

 考えてみると、母は違う人が好きな時に、父と出逢って、一目惚れされて、一緒になったのなら、合点が行く。

 不幸せな恋愛から、年下の父にとられたのなら、尽くすのが分かる。

 大人になり、母に父と逢う前に、どんな恋愛をしてきたのか?とそれとなく、訊くが、笑ってはぐらかされてしまうし、それ以上訊いてはいけない気がした。

 母は自分の両親と、姉がいたが、赤ちゃんの頃に亡くしていたので、顔を写真でしか、知らない。

 だから、結婚して、娘の私に酷く執着したのだろうし、父の我が儘さも、受け入れるのが、幸せだったのだろう。

 私には理解しかねるが、一度母に

「俊彦はどんな女性がタイプだと思う?」

と、訊いたら

「家庭的な女性(ヒト)なんじゃない?」

と言ったが、母の言う事も、あながち間違っていない気がする。

 俊彦のタイプは、私の母みたいな女性なのではないか?と感じる、今日この頃だ。