学ぶとは

2022.8.10

 

 ピアノを独学していらっしゃる方に通じるかも、知れない。

 普通、勉強する為に学校へ行く。

幼稚園または、保育園。小学校、中学校。

そして、もっと学びたい人は高校、大学、大学院と。

 家は高校までは行かせてくれた。

私は教師の薦めで、大学へ行きたかったが、父は

「馬鹿な教授に高い金出して学ぶ事などない」

と言う考えだった。

 だから、新聞配達奨学生で、東京に出ようと思っていたが、母が何とか残ってくれと、言うので、泣く泣く行くのを諦めた。

 父は函館の三流大学を中退した。講義を聞いて、自分なら、もっと分かり易く教える事が出来ると思い、馬鹿馬鹿しくなり、高いお金をドブに捨てると思ったから、辞めて働いたのだ。

 だから、私にも

「辞書を持って、図書館へ行きなさい。そこが、お前の学校になる」

と言った。

 辞書は図書館にもあるから、とにかく、学びたければ、本を読めと言うことだった。

 学校があるから、学ぶのではなく、学ぶ姿勢があれば、馬鹿な教授から教わる必要等なく、自分でやりなさいと言う教えだった。

 そこいらへんの、4年生大学を卒業したくらいの知識は働きながらでも、自分の工夫しだいで、出来ると言う考えだ。

 お金払って学ぶのではなく、もらいながら、学ぶ事が出来ると。

 高校の頃、本当は駄目だったが、バイトをした時にそこの社長に

「君たちはお金を払って学校に行っているが、ここではお金をもらいながら、学ぶ事が出来るから、たくさん学びなさい」

と言われた。

 本来は義務教育だけで、人は生きて行けるように出来ているはずだ。

 大学を卒業しても、アンポンタンが、いる。そういう人に限って、お金を捨てている事に気付いていない。

 女子大生は夜はコンパニオン等やって、楽に大金を稼ぎ、単位を巧く取って、夜のお仕事で知り合いになった、社長のアテンドをして、そこの会社に入れてもらう。

 そして、若手のホープに目星を付けて、付き合って、男遊びに飽きた頃に結婚して、旦那に食わせてもらう。

 そういったところだろうか。女子大生は。

苦学生など、今は数少ない。

 真剣に学びたい人が大学へ行かずに、親のスネをかじれるだけかじって、要領よく生きている人が大学へ行っている。

 どこか、狂っているが、苦学生が幸せになれる世の中になることを信じて生きていかないと、自分の人生が馬鹿馬鹿しくなる。

 正しい人が幸せにならない世の中ならば、すべて消えてしまえばいいと思う。

 学ぶとはなんなのだろうか。