LAST DIE
2022.8.12
Lastは終わりと言う意味だが、高見沢俊彦は
「終わりは始まり」
と言って、a Last songやLast stageを創った。
終わりは始まり。
お盆だが、私の両親は既に他界しているが、お墓参りに行きたくても、父にはお墓がない。
津軽海峡に眠っている。
父の意向で、墓も戒名もいらないから、海に入れてくれとの事で、父の妹が父の遺骨を船から、流してくれた。
父は68歳で、亡くなったが、私は47歳までの父の顔しか知らない。
私が24歳の時に離れてしまったからだ。
父が亡くなったと聞いたが、函館に行く事も出来ないので、すべて、妹さんにお任せした。
ウチは変わっていて、離婚してないが、父が暴れたので、母と二人で、秋田に逃げて来た。
その何年も前から、家に帰って来なかったから、母子家庭も同様だ。
母は葬儀屋さんのご好意で、安価で、宗派を問わない、共同墓地に入っている。
離婚していないから、旧姓家の墓に入れてもらうには無理がある。
何回か墓参りに行ったが、他の方が花を飾っているので、私が入れる訳にはいかず、一応クリスチャンだから、お墓に手を合わせる事も出来ず、心の中で、他の方々に
「母をよろしく」
と、伝えて帰る。
母は認知症になり、77歳まで生きたが、健康年齢は71、2歳位だろう。
母はご飯が食べられなくなり、栄養点滴で、命を繋いでいた。
それが駄目になったら、いろうになる。
私は母の主治医にいろうをするなら、自然に任せたいと伝えた。
そうすると、自然に死へ向かうことになる。
私は決断した。今までの人生の中で一番、辛い決断だった。
バレンタインデーの朝に眠ったまま、逝ってしまった。
いろうをする前にだ。
多分、母はこれ以上、私に無理をさせない為に逝ってくれたのだろう。
涙も出なかった。泣き方が分からないのだ。
父が亡くなった時も、母が亡くなった時も。
母は施設に入ってから、大好きな煙草を我慢していたので、あの世では心置きなく吸えるから、良かったと。
病院の天井ばかり見て、楽しかったのだろうか?
医療スタッフの方々はとても、良くしてくださった。
涙ひとつも、見せない私を冷たい娘と、思ったろうか?
私は泣くより、万歳をしたくなった。
「母よ!よくぞ、生ききった❗」
と。
もう、自由なんだよ!と。
今は私一人だから、自分の後始末は人様任せなので、遺書たる物を書いてベッドの側に置いてある。
あまり、ご迷惑をお掛けしたくはないからだ。
死は哀しいものではない。
新たな旅立ちなのだと私は感じている。
実際、お葬式で、笑う民族もいる。
皆さん、拍手で送り出しましょう❗