人は必ず死ぬ

2022.9.2

 

 人間、遅かれ早かれ必ず死ぬ。

仏教では輪廻転生があり、キリスト教では復活の義がある。

 一人が出会う数は限られている。

星の一生に比べたら、人間の一生は儚いものだ。

 だからこそ、私は出会った人、一人一人を大切にしたい。

 それも、程々にだ。いくら、好きだからと言って、本人が知られたくない事まで、根掘り葉掘り聞くのはいけないだろう。

 そっとしておいてあけるのも、また、愛情だ。

 親だからと言って子供の全てを知る必要はない。

 助けを求められた時に全力で守れば良い。

 どんなに愛し合っている夫婦でも、プライバシーに踏み込むのはいけない気がする。

 私だってそうだ。踏み込んで来て欲しくない時がある。

 だから、頃合いが大切だと思う。

 私は独身だ。不思議と焦った事がない。

結婚願望がはなからないから、周りはドンドンとウェディングベルを鳴らすが、私は

「結婚したんだ」

という感じだ。

 今は亡き、生き別れの父も、認知症になってこの世を去った母も

「結婚は?」

と言った事がない。

内心はいつお婿さんを連れて来るのかと、思っていただろうが。

 私が結婚をしないのは高見澤俊彦さんが、好きなのと、日本の結婚という、家政婦・売春婦制が嫌だからだ。

 それでは愛ではなく、取り引きになってしまうから。

 戦中戦後の結婚式まで、互いを知らないという今は時代ではない。

 大抵が恋愛結婚だ。お見合いをして結婚なさる方もいらっしゃるが、私はそこまでの忍耐力が足りないし、結婚に対する情熱もない。

 こんな面倒臭い女だから、結婚はしないと言っているのだ。

 そうすると、既婚者が愛人にピッタリだと寄って来る。

 結婚しない=遊びでいいという図式が成り立つようだ。

 私は誰よりも純粋に愛を求めているから、結婚しないと言っているのに、不思議なものだ。

 不倫をするほど、私は愚かではない。欲望に身を任せる程、落ちぶれてはいないのだ。

 男性は見てくれで女性を判断しがちだ。

だから、夜な夜なホステスさんのお尻を追いかけたりする。

 そして、ホスト遊びをしたり、20歳年下の男性と一緒になる女性を好き者呼ばわりする。

 自分の事は棚にあげるとはこういう事だ。

 実際は奥さんに頭があがらずに、給料さえ入れたら、家に帰って来なくても良いと言われる始末。憐れである。

 愛がなくなったら別れれば良いのに、慰謝料を払うのが、嫌だと言って惰性で仮面夫婦している人もいる。

 私にはそれが理解出来ないのだ。

 だから、結婚しない方が、純愛でいられるのではないか?と感じている。

 いずれ人は死ぬし、老いて行く。

 私も杖を付かなくては歩けなくなるとは考えても見なかった。

 尿の切れは悪くなるし、昨日の晩御飯も思い出せないでいる。

 昔から、宵っ張りだったが、最近は朝も起きるのが早いから、必然的に睡眠不足になる。

 私が後どれくらい生きられるのかを日数にすると、とんでもなく短い。

 私はこのまま、多分、独りだろうな。

 死ぬ時は人様にご迷惑かけたくないから、猫の様にどこかへ行って亡くなりたいが、それは不可能だ。

 延命措置する位ならば自然に逝かせて欲しい。

 それくらいの我が儘は聞いてもらいたいと感じる、今日この頃だ。