一美
今日、4月1日は私の父が生きていたら74歳になっております。
父は68歳で、あの世へ逝ってしまいました。事情があり、戸籍謄本を取り寄せてみると、死亡の日付が10月10~20日になっておりました。~は?
ご近所の方が父を最近見ないし、異臭がすると、警察の方が中に入ると、書棚に寄りかかって、息をしてなかったそうです。
実は私は父を47歳までしか、顔が知りません。
母と二人で函館を急に出る事になり、父に最後のお茶を入れて、心の中で、お別れを言いました。
離れて暮らすも私が病気になり、Dr.が父に電話するも、怒って話しにならなかったそうです。
そして、ある時、函館市役所から、父がくも膜下出血で、入院していると電話が来て、援助出来ないかと言われましたが、私達も、自分で手一杯で、何とも出来ないと言いました。
あれだけ死ねばいい!と、思っていた父ですが、いざ倒れたと聞いて、カードに
「何とか、無事に生きて!」
と書いて送りました。
偶々、腕の良いお医者さんに手術され、無事命はとりとめました。
それから、文通と、たまに電話をするようになりました。
切る時、必ず
「母さんを頼む🙏な!」
と言うので、だったら、仲良くしてれば良かったのに・・・と、思う私でした。
離れて暮らした方が良い関係もあるのでしょうね。
父からの手紙は全部取ってあり、読み返すと
「来函、しませんか?病気も良くなるかも知れない」
と、何通も書いてあり、私はこんな事書いてたんだ?と、今頃になって気付きました。
気掛かりなのは最後の電話で
「天を観て、地に足を感じ・・・」
と、いつものお説教だから
「分かった、分かった」
「いいから、黙って聞け!!」
と、喧嘩別れになった事です。
私のスマホの着信で、父の名前だったので出ると、叔母の声だったので、何かあったなと、察したら、父が亡くなったと。
母は5つ姉さん女房だったのですが、父が亡くなったと、聞いてから、認知症も酷くなった気がします。
一度は惚れ合って結婚した中です。娘の私にも、分からない絆があるのでしょうね。
私は何とかやっているから、少し黙って見ていてね。大山の二級酒を一緒に酌み交わしたかったな。