ナイチンゲールの精神は何処へ
ある、看護師に
「生きる為に働いてるんだから、当然でしょ!」
と言われた。
彼女は私が生活保護だと知っていた。
働きたくても、働けない人もいる。
医療従事者は人の為に働いてると思っていた。
ナイチンゲールは身を粉にして、人の為に看護した。
看護学校の卒業式にナースキャップを掛けられ、ろうそくの灯火(ともしび)の中歩くのをTVで見た事がある。
他人(ひと)の為に看護するのが、看護師なのじゃないのか?
しかし、とてつもないストレスが溜まる。
が、私も患者だ。
患者に対して余りに無神経ではないのか?
私は看護師に少しでも、楽しんで仕事をして欲しいから、馬鹿な事をして笑わせたりしてた。
そのうち、私は看護師の休憩所になっていた。休憩ならいくらでもしていい。
ただ、ストレスの掃き溜めでは私は無い。
労働の義務も、働かざる者喰うべからずも分かっている。
生活保護を受ける前は母の従兄弟の工場の休憩所で、雑魚寝した事もある。
そうだ!私は強いんだった。
家がなくても、生きて来た。
丸一日、ご飯を食べ無い時もあったっけ。
ある、友人は江原啓之さんの本で
「自己憐憫を止める事」
を志としていると言ったが、態々、江原さんに言われなくても、マトモに生きていたら、分かる事だろう。
私は馬鹿だと言われるが、困った人に直ぐに手を差しのべてしまう。
例えば、おにぎり🍙が一個だけあったとしよう。
私もお腹が空いてるが、隣に指を加えて見ていた人がいたら、あげてしまう。
大きな事こそ出来ないが、自分より、他人の事が気になるのだ。
看護師こそ、奉仕の精神が大事なのでは無いのか?
最近、ナイチンゲールに会っていない。
哀しい世の中になった。