お受験・私の場合

2022.7.22

 

 私は幼稚園は、函館で唯一、試験に通り、抽選に当たった所に入った。

 イイ所のお坊ちゃんと、お嬢ちゃんが行く所だ。

 函館の親なら、誰もが入れさせたいと、思う幼稚園だ。

 会社社長の御曹司や医者の娘さんとかが、こぞってやって来る。

 教師や警察官の子供でも、受かるのが、難しい幼稚園だ。

 私の両親は何を血迷ったのか、ダメ元で、私に試験を受けさせた。

 勿論、両親も、試験に出る。

 私は父に私はワタシではなく、ワタクシと言いなさいとか、父です、母ですと言いなさい等、子供が使う言葉を改めさせられた。

 親の職業も、受験に必要になる。

 父は若くして、出世をしたと言っても、しがないサラリーマンだ。

 そこの、一人娘が受かる筈がないのが、受かってしまったのだ。

 今でも、テストがどうだったのかも、忘れない。

 ペアになるのを線で繋げるテストだった。

茶碗と箸や、ラケットとテニスボール等を鉛筆で、結んで行く。

 両親も見ていたが、口出しできない。

母が言うには1問間違えていたらしく、心の中で違うと思ったそうだ。

 あと、面接があった。

自分の名前と、父と母の名前と、どんなところが、好きなのか?と訊かれて、答えた。

 私は第三次ベビーブームだから、受験者が沢山いた。

 試験に合格しても、抽選があった。

その抽選まで、当たってしまったから、一年生から入った。

 試験は合格でも、抽選で落ちた子は2年目から、入る。

 後に、社会人になってまで、言われるとは思わなかった位に影響力がある幼稚園だった。

 その幼稚園に入ったら、エリートコースまっしぐらの安泰な切符を手に入れたも、同然な所だ。

 私はその幼稚園を主席で、卒園した。

 だからといって、勉強が出来る訳でもない。

 教育大学の付属だから、幼稚園児は実験台になる。

 こういう教え方をすると、成績があがるとか、人間的にどう育つのだろうか研究された。

 小学校と中学校は普通の所に行ったので、私がそこの幼稚園卒園だと言うと驚かれた。

 働いても、何であの幼稚園卒園なのに、こんな所で働いているか、不思議がられた。

 謂わば、道を外してしまった人間だ。

今の私がそこの幼稚園卒園だと言うと、その幼稚園に泥を塗る事になる。

 私は謂わば落ちこぼれなのだ。

何故、受かってしまったのだろう、と悩んだ時もあった。

 始めが良すぎたから、後は落ちるだけ。

 エリートどころか、普通に働けもしない。

豪邸を建てられる事も、イイ車に乗る事も出来ない。

 いつも、つま弾き。グレる事も出来ない位に道を踏み外してしまった。

 そんな私がこれから、どう生きて行くか❓

ただ、生きて行くしか無いのだ。

 どんなに落ちこぼれても、駄目人間であろうとも、生きて行かなくてはいけない。

 今の子は、ゆとり教育が失敗だと分かり、詰め込み過ぎだと思う。

 勉強も大事だが、人として、どう生きたら良いかを教わっていない気がする。

 私が学生だった頃より、天才と不良という、極端さはないが、皆、右向け右な、感じがして、危ない気がする。

 勉強も大切だけど、生きる人間力が欠けている気がするのですよ。

 学校の先生も、責任逃れの保身に周り、親は親で、何でも、学校や教師が悪いと罵るだけ。

 自分の事しか、考えられないのに子供を産み、育てるから、めちゃくちゃになるのです。

 しかし、皆、子供もなるのが初めてだし、親になるのも初めてだから、間違いもある。

 間違えたら、素直に謝り、また、0から始めたら良いだけだ。

 そんな、私も自分を立て直そうと思う、今日この頃だ。