ピアノ

 私の家庭はほどよく貧乏だった。

 お金が無いから、母は私のワンピースを縫って作ったり、編み物でセーターを作ってくれた。

 産まれた時、ハゲチャビンだったので、女の子だからと、髪を切らなかった。

 ヒラヒラのワンピースにポニーテールで幼稚園や小学校に通っていた。

 正直、私はおままごとより、キカイダーごっこの方が好きで、お嬢様風にしたい母が疎ましかった。

 夕方5時から始まるヒーローものが好きで、ウルトラマンがやられそうな時、おもちゃの刀を持って

「悪者よ!出てこい!私が成敗してやる!」

と、テレビの裏を見た私に

「この子は女らしくならないわ」

と思ったそうだ。

 私の憧れはキカイダー01に出てきた、志保美悦子さん演じる、ビジンダーだった。

 幼稚園のトランポリンから

「私はビジンダー!!」

と飛び降りたのを先生が

「お宅ののぞ美さん、確かに美人ですが、自分で言うのはいかがでしょうか?」

と言われ、母は恥ずかしくなりながら、説明した。大人になってからも言われた。

「あの時は恥ずかしかったわよ」

と。

 両親はピアノかバイオリンを習わせたかったらしく、バイオリンは弦が切れて目に入ると危ないからと、ピアノを習わせた。

 知り合いのピアノを持っていた方から、譲り受けて貰った。

 父が月の砂漠を弾き、何故か私に歌わせた。

 つきの~さばくを~、はる~ばると~

と、3畳間にピアノを置いて歌っていた。

 家を建て、二階が空いてたので、下宿屋をした。

 ピアノの調律師さんが下宿していた時、タダで調律して貰った。

 余りに古いので、半音高く調律した。そうでないと、一番低い音が出ないからだ。

 だから、私の絶対音感は半音高く覚えてしまった。

 ピアノでギターをチューニングすると1弦が切れた。

 改めて半音高いのに気付く。

 どうりで、ピアノの先生の所で弾くと???になる。

 お金持ちのお嬢様じゃないのに、両親は私に目一杯の事をさせた。

 小学生の時、学校が終わると、月、水、金とそろばんを月曜日にピアノを火、木と学習塾、土曜日は書道をさせられた。

 そろばんは得意だった。

 函館で珠算大会で金賞を取ったし、先生も私に力を入れた。

 そろばんの上手い人は左手で支えなくてもズレないように珠を弾くと教わり、伝票算の時、ゴム無しで弾いていた。

 まだ、一級を取る前に段のテキストで習っていたが、見取り算で3回、1問多く間違えて、落ち、先生に済まない気持ちで、辞めた。

 書道も、私の性格上、思い切りがなく、3段までで、辞めた。

 それでも、最初に就職したホテルで、〇〇会社御一行様と私が書かされた。

「流石、中田さんの娘さん!」

と言われたが、私はそんなに上手く無い。

 ピアノだってそうだ。他に上手な人がいるのに、合唱コンクールで伴奏。

 ある時、塾の帰り、バスを乗り間違えて、交番で電話を借り、母に掛けると、声が聞こえて泣いてしまった。

 今思うと、夜道が怖かったのではなく、塾だらけで、一杯、一杯だったからだと思う。

 塾へ行くと上には上がいる。私では敵わない事が身に染みた。

 もう無理だと、言いたかった。

 しかし、周りはそんな私に期待する。

 ピアノも珠算も書道も、勉強も私より、上の人がいるのだ。

 努力ではどうしようもない壁がそこにはある。

 かけっこだってそう。早い人は練習しなくても、ダントツ早い。

 私は決して器用ではないから、人の百倍やって、人並みになる。

 そんな私が一番になるには千倍の努力が必要になる。

 そして、一番大切な楽しむ事を忘れてしまう。

 今なら、楽しめるだろうか?

まだ、怖くて、ピアノに向き合えずにいる。