Money

 浜田省吾さんの歌を聴いた時、私も頷いた。

 そして、いつか、そうなれると信じてがむしゃらに働いた。

 渡島支庁の事務補助のバイトをしていた時、単純な仕事を頼まれた。

 生活保護を支給した家庭に済の印を押す仕事だった。

 その中に高校の同級生だった子の家庭があった。

 私は見てはいけないものを見た気がした。

 最初に就職したホテルは今で言うブラック企業だった。

 社長と奥さんの専務が中卒でそれこそ、がむしゃらに働き、お金を貯めて創ったホテルだった。

 自分達が苦労したのだから、従業員には安い給料で良いだろうという考え方だった。

 タダでさえ、安い給料に莫大な税金を持っていかれ、初任給の額に10万足りないのじゃないか?と疑う程だ。

 同じホテル業界で働いている友人より、明らかに額が低い。

 騙されたと休憩室で一人泣いた。

 母に伝えると、もう少し我慢してと言われた。

 私には夢があったのに、それを犠牲にして働いたのにこれじゃあんまりだと感じた。

 いくら新人とは言え、休まず自分なりに頑張ったのに。

 それに毎日、マネージャーにお尻を触られ、挙げ句の果てに

「お前は2万で十分だな」

と、値踏みまでされた。

 そのマネージャーにも、離婚はしているが、中学生の娘さんがいる。

 もし、貴方の娘が貴方のようなおじさんに毎日、お尻を触られ、値踏みまでされたら、父親として腹が立たないのか?と思った。

 夏のボーナスで

「少ないけど」

と、専務に封筒を渡された。ボーナスは普通、給料の1.5倍はもらえると、思っていたので、封筒をあけたら、2万円だった。

 一生懸命働き、お尻を触られ、値踏みまでされて、人格否定までされて、堪えられず、次の日から行かなくなった。

 それから、まだ、夢を捨てられない自分がいたので、バイトで食いつないだ。

 日中と夜はコンビニで2つ掛け持ちをした。水商売だけはしないというのが、私の信念だった。

 ウェイトレスをしていた時、会食の準備をした。倉庫から、円卓を持って来て、ビールを拭いて、冷蔵庫に入れて、入らないのはシンクの蓋を閉めて氷と塩を混ぜて水を入れ冷やす。

 ビールの蓋で湿った指を切りながらも仕事だからやった。

 必ずと言っていいほど、教師の会食にはコンパニオンが付いた。

 彼女達は遅く来て

「宜しくお願いしま~す」

と言って入って来て、お客様にサービスをし、2時間すると

「お先に失礼します」

と帰って行く。

 ブッフェ料理は必ず一皿、置いておかなければいけないという事も分からず、全部下げてしまう。いくら、コンパニオンでも、そういう常識位、学んでからして欲しい。

 大学生のバイトの男の子が

「俺もコンパニオンやりてぇ~」

と言っていた。

 私はウェイトレスだから、お客様にもサービスするし、下準備もしても、コンパニオンの時給より安い。割りに合わないと思ったが、コンパニオンになってしまうと、職業差別ではないが、自分は負けた気がして意地でもやらなかった。

 しかし、働いていた時は自分が仕事をやっているんだと、思っていたが、病気になり、働けなくなって、今は人様の税金で生かされている。

 働いていた時、税金を納めていたお陰で、年金を貰えたのは助かった。

 同じく、病気になって仕事が出来なくなった友人は給料が安いから、税金を納めてなかったので、年金が貰えずにいた。

 生き別れの父もくも膜下出血になり、生活保護になっていた。

 私も働けなくなり、今の言葉で生ぽになった。

 働いていた時はこれだけ、働いているのにと感じていたが、人様から施しを受ける身になり、神が

「お前の傲慢さをしらしめてやろう」

と、与えられたと感じている。

 あれ買っちゃ駄目、これ買っちゃたら、後ろ指刺される。

 楽しく笑ったら、生保の癖に呑気なものだと言われるのではないか?と後ろめたさがある。

 病気になって、働かせて貰っていたのだと痛感する。

 お金があれば偉そうに振る舞える。

 もしかしたら、夢もお金で買える事も出来る。

 全てお金。

 札束で私をバカにした人を叩きつけたら、気分が晴れるか?

 しかし、私は心まで買えないと分かっているから、理想主義と言われようとも腐らずに生きて行く。

 それが私のプライドだ。

働けるのを当たり前だと思っていた、私に対してのそうじゃないよと戒めだと感じている。

  母が亡くなった時、正直、友人からの御香典で何とか切り抜けた。感謝しかない。

 綺麗事と言われようとも、お金の奴隷にはなりたくない。

 そう感じる。