母逝く、父の元へ~最後のお茶~

 2022.5.30

 

 私も入院しなくても、良くなり母と私の女所帯だから、母は鍵を締め、チェーンを掛け、ロープで、ドアノブを結んで、寝ていた。

 ある日

「家に男の人が入って来た。のぞ美何かされていない?」

いくら、睡眠薬を飲んでいるからと言って、不眠症の私の事だ。何かあれば気付くはず。

 丁度、癌検診に婦人科に行く予定だったので、Dr.に妊娠してるかも、診て下さいと頼むも、何ともないとの事。

 母は団地のゴミ当番をしていた。

私の目からみると、きちんとやっているのに、管理人が、駄目だ、なっていない。

と言ったので、私は怒って管理人に言ってくる!と言うと

「今回だけは我慢して!」

と、私に言うので、止めにした。

 私より、周りの人が母の異変に気付いていた。

 母が亡くなったあとで、管理人に

「あんたのお母さんから、中身が新聞紙だらけのお土産いただいたわよ~」

と、そこはオブラートに包み、私に伝えなくて、欲しかった。

 私の母はよく、親戚の叔母が認知症になり

「どなたさんでしたっけ?」

と、真似るのだ。

 私は本当にそうなって欲しくないから、止めてと言っていた。

 そして、認知症にならないためにお金の管理を態と母に任せていた。

「のぞ美、貴女がやってくれない?」

と何度も頼むので、私が管理する事になった。

 父が亡くなり、母の認知症が加速度を増していった。

 実は私の主治医のJ先生は認知症スペシャリストだった。

 母と一緒に病院へ行き、MRiと、簡単なテストを受けた。

 海馬が萎縮していて、アルツハイマー認知症だった。

 私も若年性の心配があったので、診てもらったが、大丈夫との事。

 そして、ケースワーカーさんが付き、訪問看護の方が、来て下さった。

 母も、大人の女性として、オムツを履くのに抵抗があったのだろう。

 下着から、トイレットペーパーが畳んで出て来た。

 私は何とか説得して、オムツを履いて貰うようにした。

 ショートステイから、グループホームへ移動し、正直、金銭的に苦しくなったが、私を娘だと認識してくれたのは良かった限りだ。

 そして、脳梗塞になり、病院へ一年、入院した。

 母の主治医にはいろう(お腹に穴を開けて管で栄養を入れる処置)するなら、自然体でと頼んだ。

 私の今までの中で一番キツイ決断だった。

ご飯が食べられなくなって、いろうもしないとなると、あとは死を待つだけだから、見殺しにするのも、同然だからだ。

 後は栄養点滴で母の命は繋がれていた。

毎日、見えるのは病院の天井たけ。果たして幸せだったのだろうか。

 その日に限って朝3時に起きて、朝食も、身支度も、出来ていて、これから、書き物でもしようかと、明日、母に面会だしなと考えていた所に電話がなり

「お母さん、息してません!」

私はへっ?と思った。

 ドラマでよくある

「今すぐ来て下さい。もう危ないです」

ではなく、タクシーで、病院に着いたら母は亡くなっていた。

 先生が

「6時50分でした」

と言われ、泣く事も出来なかった。

 ただ、私の中で

「あっぱれ、母、よくぞ生き抜いた❗万歳だ」

と我が母ながら、美しい寝顔に苦しまずに逝ったのだと、分かったのが、救いだった。

 そして、葬儀屋さんの出番。3時間後には来て下さり、病院を後にする。後ろを振り返ると、看護師さんや、病院の関係者の皆さんが

車が見えなくなるまで、頭を下げていてくれた。

 この時、初めて母は亡くなったのだと感じた。

 葬儀屋さんは手際良く、事を進めた。そして、私に母の写真、何枚か持って来て欲しいと言われ、私なら、こっちを選ぶのに、違うスナップ写真を手に取り

「これがよい!」

と言い、お着物と背景選んで下さいと、出来上がったのが、どこぞの色っぽい演歌歌手みたいな遺影。

 そして、私はお化粧をしてあげ、産毛が目立つので、電気シェーバーで剃ってあげ、煙草と、B'zの稲葉君と福山雅治君のCDの写真を入れて、車に乗った。

 何だか心地良い音楽が流れている。

「私、もしかして、霊柩車に乗っているのですか?」

「そうですよ~」

と、今日、初めて会った方だったが、とても親切で、話しが盛り上がった。

 火葬場に付き、母を焼き上げ?てる間に、その方も他の仕事が入ったとの事で、だだっ広い待合室で、一人で待っていた。

 何をして良いか分からず、ペットボトルのカフェ・ラテを2本飲んだ。

 電話がなりそろそろ、火葬場の方へと言われ降りて行く。

 他はお坊さんとか、親戚ご一行様で、30人位集まっていたが、中田家は私一人だけだった。

 係の方が無機質に

「こちらが喉仏でございます。どうぞ、お骨をお取り下さい」

に、私は舞い上がって、後で、気付いたが、右手で骨を拾いあげた。

 どれが骨なのか、カスなのか、分からないでいたら

「お手伝いしても宜しいでしょうか?」

に、藁にもすがる思いで

「宜しくお願い致します❗」

とほとんどが係の方に寄って、母の骨が拾われた。

「タクシー呼びましたか?」

と、今度は別の方で、呼んだ事を伝えると、お花から、果物まで、母の遺骨を係の方が持ち、座って下さいと言われるがまま、タクシーに乗ると

「はい。お母さん。抱いて帰りなさい」

と、焼きたてホヤホヤで、汗をかきながら火葬場を後にした。

 全て、人生初体験だから、何が何だか分からないまま、1日が終わった。

 ただ、人って皆、優しいなと感じた日でした。