死にたくなった時には
2022.6.6
人は必ず死ぬ。
これは避けられない事だ。どんなに科学が発達しても、変えられない。
私は幼い頃、メルモちゃんみたいに、飲むと死なない薬を発明して、母に飲ませると、言っていた。
母は身体が弱く、死に目に2度あっている。
死があるから人は生きていけるのではないか?と考えるように変わった。
人生にタイムリミットがないと、楽しい時は良いが苦しさに打ちのめされた時、逃げ道がない。
尊厳死について、議論がなされるが、自殺も、一種の尊厳死では?
自分の人生を、自分の思った時期に思ったように、終われるのだから。
私も過去に一度、死を考えた事がある。
いや、考えなら、何百回とあるが、実行に移したのが、一度ある。
そんな時、10人の名医と呼ばれる、医者よりも、たった一人の精神患者の言葉で、救われる時がある。
自分が死にたくなる位に悩んだ、経験者の方が理解出来るからだ。
勿論、医者でも、死にたくなった人も居るだろう。
死にたくなった時は兎に角、食べて寝る事。
この当たり前の事が、出来ないから、死へと向かってしまう。
後、心から、信頼出来る人を探して、助けを求める事。
いないのであれば、近所の交番でもいい。
私の経験上、いのちの電話関連は当てにならない。今はどうかは分かりかねるが、20年前ならば、お話にも、ならなかった。
信頼出来る医者を探しておく事をお勧めする。後、親だったら、精神関連の本位読んで、実際、通っている患者にどのような医者か、訊いてみる事。
少し疲れているが、3か月続いていたら、心が病んでいる確率があるので、休む事。
自分の命に代えられる仕事等無いからだ。
後、女性に多いのだが、依存しない事。
薬物、SEX、etc.。
自分を大事に出来ない人には哀しい末路しか、残されないからだ。
寝ながら、食べれるビスケットでもいい。
あと、お水の入ったペットボトルを側に置いておく事。
仕事なんて、出来なくてもいい。
自分の命と引き替えにする仕事等無いからだ。
あとは苦しみの嵐が去る事を待つ。
一番危ないのは辛さから出た、力が出て来た時だ。
鬱の真っ最中なら、動けないから、死ぬ事が出来ないが、抜け出し掛けた時が危ない。
自分は自由だと、過信せずに慎重に生きる事だ。
幻覚、幻聴に悩まされる方。
ご近所迷惑になっても、思いっきり叫ぶ事。
誰にどう思われようと、あなたの命の方が大事ですから。
むちゃくちゃ言っていると、思われるかも知れないが、私の経験上のお話なので、こうした方が良いよと、仰る方は私のブログのスペースをお貸ししますので、はてなブログのコメント欄でも、フェイスブックでも、どんどん書き込んで下さい。
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