私の人生ザックリと

2022.8.25

 

 私は19~47歳まで多い時で、1日3箱吸うチェーンスモーカーだった。

 過去2回、アルコール中毒になった。

 一度、自殺未遂をしている。

 こう書くと、どんな人生送って来たのか?と、皆さん思われるだろう。

 しかし、皆さんにも、楽しい事ばかりではなくて、寧ろ、幸せのあまりに虚しくなるときはないだろうか?

 贅沢な悩みは百も承知だ。

 私がこの世を去りたいと、感じたのは芥川が遺書に残した、ぼんやりとした不安を体感したからだ。

 言葉では言い表せない、まさに、ぼんやりだ。

 失恋した訳でもなく、借金に首が回らなくなった訳でもなく、不治の病に苦しんだ訳でもない。

 ただ、虚しくなったのだ。

 安楽死が自分で、出来たならそうしただろう。

 前にも書いたが、上と下も右も左もない所をただ、ひたすら歩いていた。

 あのまま、あの世に逝っていたならば、今も歩き続けていたと思う。

 死んだら終わりは来ないのだから、永遠にただ、歩き続ける。それが、まさに地獄というものなのだと、今は思う。

 アルコールだって、断酒会は男性ばかりで、女の私には入られない。

 酒を寝ても覚めても呑み続けた。

お酒が入らないと、人と会えなかった。

少し、酔った位が饒舌になれたから、初めて、私に会った人は呑んだと分からずに、こういう人なのだと、受け取る。

 呑んだ私は明るいのだ。

誰でも、一緒に呑めるの、オーライだ❗

 煙草と缶コーヒーだけで、過ごしていたことがある。

 ご飯がいらないのだ。

缶コーヒーだけで、満腹になるし、煙草が食欲を無くす。

 こんな、生活していて、身体に良い訳がない。

 精神だけでなく、たこつぼ型心筋症と、横紋筋融解で、ICUに入った。

 考えてみたら、煙草は止めていたが、母の介護の合間にビールと自分で作った焼き鳥しか、食べていなくて、今より痩せていて、骨川筋子だった。

 入院したはいいも、次の日、母が骨折したと聞き、一週間早く退院した。

 点滴打ちながら、母を介護した。

自分が病気ではいられないと感じた。

子供は私しか、いないのだから。

 私はどうやら、人より、深く考え過ぎるところがある。悩まなくてよい所であーでもない、こーでもないと。

 そして、石橋叩いて壊れちゃったから、飛んでしまえ❗という性格。

 だから、たまに友人を驚かせる。

「あんなことする人だと思わなかった❗凄いね」

と、よく言われた。

 友人の間でも、私は浮いていた。

いつも、孤独だったが、一人娘のお陰か、一人の時間の使い方を知っていたので、別段、寂しくなかったのだ。

 だから、結婚しなくても、平気でいられるのだろう。

 そして、年の離れた人からは良くしていただけたので、とても有難い人間だ。

 ザックリと私の事を書いた。

世の中には生きていたくても、死んでしまう人もいるが、死にたくても、死ねない人もいるのだ。

 まさに、生き地獄。死に損ないの私は今日もこうして生きている。

 恥ずかしながら、この世におります。