人は皆同じ
2022.8.8
私は外国に産まれた方が性格的に良かったと感じる。
すべて本音で言ってしまうし、嫉妬した時には態度をあらわにするからだ。
言い合いは苦手だが、討論ならできる。 日本人は討論が苦手な方が多い。
小学生の頃、ハーフの子がいた。
色が白くて、ぽっちゃりしてたから、皆
「白豚!」
と、今考えると、とても酷い呼び方をしていた。
私も良くハーフだと思われたが、気が強かったので、苛めてくる子を逆にやり返して、やっつけてやったら
「先生!中田さんたちが、苛める~」
と、必ず言われた。
先に馬鹿にしたのはお前のほうだろうにと思ったが、喧嘩はいけない。私が悪かったのだ。
小学生の中学年くらいまで、私の後ろに20人くらいの手下がいた。
男子の中でも、私が生意気だと、今に見ていろという感じで、10人くらいに囲まれた事がある。
そうすると、必ず助けてくれる人がいた。
今ではもっと、悪質な苛めがあるだろうが、私が幼い頃は殴りあいで勝った負けたが決まる。だから、どこまでやったら良いかがわかるようになる。今の子は死ぬまで気づかない。
喧嘩を推奨している訳ではない。
自分が殴られた事がない人は痛みを知らない。危ないと言っているのだ。
子供は残酷だ。自分と異質なものを排除しようとする。
高校がミッションスクールで、交換留学生が私のクラスに来た。
英語の授業で、彼女に教科書を読んでもらったが、凄く訛っていた。
東京で津軽弁を喋る位な違いだから、私は黙っていた。
クラスメイトは気づいていないみたいだったが、担任の先生は分かっていたと思う。
読んでいる、彼女も緊張したのだろう。耳が真っ赤になっていた。
そして、極一部のクラスメイトが、彼女ばかり特別扱いすると、不満が出たが、担任は
「違う国に来ているのだから、不安なんだよ」
と、生徒を注意した。
私もそれには同感だった。
私達日本人からすると、アメリカ人は皆、強くて、性格も、前に出るタイプだと、勝手に思い込んでしまうが、気の弱いアメリカ人もいるのだ。
そして、家は下宿屋をしていたから、交換留学生の男の子を無料で1ヶ月預かる事にした。
父が英語が話せるし、お金を取らなくても、受け入れたいと、両親は感じたからだ。
父はたまにしか、帰って来なかったが。
グレンは私の母に、今度、皆の前で日本語の歌を披露しなくちゃいけないから、教えてくれと言われ
♪あめあめふれふれかあさんが~♪
と歌って教えたそうで、後日、グレンが撮ったビデオを観て、皆、荒城の月だとか、難しい歌を歌っている中で、グレンだけが
♪ピッチピッチチャップチャップ ランランラン♪
と、歌っていたのを得意気に観せられて、私に
「もっと、ちゃんとした歌を教えれば良かった」
と、肩を落としていたが、グレンはみんなに拍車喝采だったとニコニコしていた。
私と二人で、無料で函館市民会館で、歌舞伎を観に行く機会があった。
今は亡き中村勘三郎さん等が無料で観られるし、話しも面白かったので、食い入るように観ていた私と、打って変わって、日本語の分からないグレンにしたら、つまらなかったのだろう。いびきをかいて寝ていた。
帰りに私はタクシーを呼んだ後に他の交換留学生を受け入れてる方が、車で送りましょうと言って下さったのだか、もうタクシーを呼んだのでと、お断りしたら、グレンが何故?と言ったが、私のカタコトの英語と、グレンのカタコトの日本語で、話しにならない。
私は頭に来てしまい、数分言い合いをしていると、痛い視線を感じて、その方を見ると、フランス人形のような、かわいい女の子が私を睨んでいた。
多分、グレンの事が好きだったのだろう。
私は言い合いしてるだけであって、グレンに特別な感情等ないのに、外国人の女の子は実に分かりやすいと思った。
露骨に態度にするからだ。
教会でも、フィリピンの女の子達がいた。
学校へ通っているし、日本で産まれたので、日本語は普通にできるが、お母様とお婆様があまり、得意ではない。
私は前に外国人に私の名前をDesireと訳されて、なんか、欲望の固まりみたいで嫌だったので、お婆様に
「I'm a のぞ美。Hopeです」
と伝えた。実際、希望を意味するのだから。
タガログ語を話されるそうだが、外国人は英語もできる。
日本人位だ。6年も学校で、大学を入れると10年も英語を習うのに、英文科を出た人でさえ、英語が出来ない人がいる。
そういう私も、30歳くらいまでは話せていたが、使わないと衰えていき、今ではほとんど喋れない。
しかし、外国人の方を傘に入れてあげたりはする。
同じ人間だ。I love youさえ分かればあとは身振り手振りでなんとかなると思っている。
DNAの関係上、肌や髪や体臭の違いこそあれ、皆同じ人間だ。
差別する必要はないのでは?と感じる私です。