みそっかす

2022.8.3

 

 私は子供の話しを真正面から、きちんと聞く。けっして、子供扱いなどせずに聞く。

 私は一人っ子だ。

普通、兄弟がいると、2~5、6歳の年上の兄や姉、年下の弟や妹がいるから、対等に話し合う相手が家には居る。

 父が友人を招いて、お酒を呑みながら、話しをしている。

 私も端に座って聞いている。

そうすると

「のぞ美ね~!おじさんの言う事、解るよ!」

と、話しに入っていく。

 そして、大声を出すと

「分かったから、唐揚げやるから、向こうへ行ってなさい!」

となる。

 まだ、こうやって、反応してくれる時なら、良いが、まるで空気の様に、私の存在が無くて、話しが続いて終わる。

 私は悔しくて、大人になりたいと感じた。

 時々、父が私をからかって

「のぞ美に解るのか~?」

と言われ、悔しくて、泣いてしまう。そうすると

「中田泣け子だもん」

と、茶々が入る。

 本当に悔しくて、涙が出てくる。

 話しの内容が、分かっているのに、いない存在として、扱われるのが、とても嫌だった。

 欲しいのは唐揚げとか、おやつ等ではなく、私の存在を認めて欲しいのだ。

 大人にしてみたら、自分達が話しが盛り上がった時に、3、4歳の子供が入って来ても、うざったいだけだろう。

 父は私によく、ビールの泡を呑ませたり、煙草を吸わせたりした。

 逆療法だ。

 よく、TVで、親子が観ていて気まずい雰囲気になるところが、平気な顔をして、観せてくれた。

 そんな風に育ててくれたのは良かったと、両親に感謝している。

 「誰それちゃんみたいになりなさい!」

「勉強しなさい!」

と言われたことがない。

 ただ、小学4年生になった時、机にNHKの基礎英語のテキストをポンっと置いて

「ここに出てくる英語くらい、その歳になったら、話せて、筆記体で、書けなきゃ恥ずかしいぞ」

と、言われラジオで聴いていた。

 父は一度も、外国に行った事がないのに、高校生の時には日常会話位、話せたのはそうやって、ラジオを聴いていたからだ。

 母に言わせると

「金髪の女と、付き合いたいからよ!」

と、一笑したが。

 幼い頃、父と函館山に行った時、外国人がいて、父が英語で話し掛けていた。

 少しふっくらした、中年の男性だったのは覚えている。

 父は臆することがないのだ。

そして、どうしても、通じない単語があり、父が手帳にイラストを書くと、なにやら

「それは〇〇と言うんですよ」

に、父は合点がいき、帰りに

「勉強になった~」

と言っていた。

 父はイラストも得意だった。

 三島由紀夫と、フランク永井と、東海林太郎が大好きで、なんでもできた。

 そんな父に認めてもらいたくて、自ら、勉強したし、運動も頑張った。

 父が愛人の所へ行った時、自分のものが取られた気がした。

 母とは違い、血が繋がっている分また、違う感覚だったと思う。

 初恋に敗れる前に、失恋した気分だ。

 異性の親はそれだけ、影響が強いのだ。

 父に似た人とは一緒になりたくないと、思っていたが、父を越えた男性にはまだ、逢ったことがない。

 だから、私はいつまでも、みそっかすのままなのだ。