文章を書くという事
2022.6.11
私はどちらかと言えば文系だ。
そろばんをしていたから、数字には強いし、顕微鏡で、わらじ虫をつかまえて、見ながら絵を描いていた。
にも、かかわらず理数系は駄目だった。
体育は得意だったが、家庭科はテストの点数で、何とか切り抜けた位、裁縫とかには向いていない。
しかし、家でケーキを作り、同級生に食べてもらったら、好評だったが、主婦には向いてないと、自覚はしている。
読書感想文等が得意だった。所謂、本の虫だ。読む事も、書く事も、苦ではない。
MY詩集という、同人誌に詩や作詞、エッセイ等を載せていた。
どうやら、編集長に嫌われ、そこを辞める事にした。
そして、どうしようか?と、考えた私は、この、はてなブログを見つけた。
小説も書いて、訪問看護さんや、ヘルパーさんに、読んでいただき、感想をもらう。
片っ端から、本の背表紙に書かれてある、出版社に電話を掛けるも、名の無い私の文章までは読めないと、断られる。
公募雑誌や、ネットで調べて賞に応募するも、賞状一枚だけで、何もつながらないのが、現実。
フェイスブックにも、ブログ等を載せるも、反対意見が続出。
まだ、反論されているうちは華だろう。
何も返って来ない方が駄目だ。
リアクションがなくとも、ご覧下さっているのを、昨日、新聞代を取りに来た方から
「のぞ美さん!フェイスブックやっているでしよ?」
と言われて知った。
何も返事が無くとも、読んで下さる方がいる事が分かり、一人でも、読んで下さる方がいる限り、書き続けようと思った。
過去のブログを読んでみると、誤字脱字はおろか、小学生でも、分かる文法がなっていないのに気付く。
これはこれで、戒めとして、手直しせずに取っておく事にした。
ブログなんて、あった事を書けばいいんだと、感じている方はそのまま、書くのを続けて欲しいが、私はこれで、自分の食べて行ける位になりたいと、考えているので、もう一度、基礎から、やり直しだ。
私は分かりやすい文章を目指している。
よく、評論家で、訳の分からない、英語まじりで、これくらい分からないの?と、シタリ顔で話す方や、小難しい文章の羅列を書く方も、いらっしゃるが、私は幼い子供でも、分かるように書く事を心がけている。
知識の網羅は自己満足に過ぎない。
そして、美しい日本語をと。
やさぐれた言葉を使うと、尚インパクトが残るからだ。
読み手側に
「何考えている人なんだろう?どんな人?」
と、感じてもらえたら、自己プロデュースは出来たと捉える。
ピアノとギターとアルトリコーダーと、パソコン、そして、文章を0からのやり直しになった。
時は金なりで、皆さんのブログや動画UPに反応したいのはやまやまだが、リアクション出来ない私がいる。
陰ながら、皆さんの事は応援しているので、折れそうな時は私が観ていると思い出して欲しい。
みんな、がんばれー❗