負けを知る者は強し

 私は中学の3年間バスケット部だった。3年間サブ所謂、補欠だった。3年になると、15人で3チームの2番目のチームだった。

 私以外にあと2名、どうしてこの子をレギュラーにしないのか!?と思う位、レギュラーより、上手な子が居た。

 練習試合をレギュラーと、私達サブチームがすると、必ずサブチームが勝った。何故ならレギュラーより、上手いのだから、当たり前だ。

 後に気付くが、誰それの妹さんとか、町内会長の娘さんがレギュラーになっていた。

 実力以外の事だった。それを高校もバスケットをした、サブの子がレギュラーで、キャプテンになり、レギュラーだった子が補欠になって証明してくれた。

 私は誰よりも練習したと言い切れる程、バスケットに明け暮れた。

 中体連の選抜で200ml、800ml走は一人だけ陸上部の子で、決勝戦は全てバスケット部だった。

 陸上部の子に負けるのは仕方ないが、同じバスケット部の子達では私が1位になるのは分かっていた。

 だから、スタートは3番目で進もうと。1位なら中体連に出なくてはいけないし、2位も、1位の子に何かあった時の為に付いていかなくてはいけないからだ。

 よーい、スタートで私は1番に出てしまった。追い越されるのは恥ずかしかったので、ゴールまで、突っ走った。

 なんと2位は陸上部の子だった。申し訳ない気持ちで一杯になった。

 バスケットを引退したのに、今度は中体連の練習。何より、2位の陸上部の子が付き合いで、練習する。

 私はサブだったから、試合に出れないのに、練習する辛さを分かっていたので、彼女に馬鹿にした走りは見せられないと、私なりに一生懸命、練習した。

 中体連は一回戦で、漏れてしまったが、3年時の校長が厳しい方で、遅刻した生徒を廊下に正座させて、不良の男の子の中に私一人だけ女子で座っていた。

 校長が一人、一人に叱って次は私の番。

「中田は中体連の練習で疲れて寝坊でもしたか?足痛いだろう?もう教室へ戻っていいぞ」

と、私の事を知っていたし、優しかったのに、驚いた。

 それこそ、バスケットの試合の時、部活をしていない生徒が応援に来た時、レギュラーと、サブのメンバーチェンジの時、レギュラー以上に声援が上がったのにも、驚いた。男子が

「中田~!逆点しろよ!」

等、違うクラスの男の子に言われ、何故、私の事知っているのだろうか?と、感じながら試合に臨んだ。

 そう、見る方としては私がレギュラーだろうとサブだろうと関係無いのだ。練習を見ていてくれてたのは部活以外の人だった。

 バスケット部の後輩に自分のクラスに私を好きな女の子がいるから、体育館のそこで待ってるので会って握手して欲しいと言われたり、違うクラスの女の子から、手紙預かったから、友達になって欲しいだの、何故か、人気だけはあった。間違いないで欲しい。人気があると、モテるのとは違う事を(笑)。

 3年になると、2年生が、一人世話役に付く。一人に一人必ず誰か手を上げるのだが、問題が起きた。

 私だけ2人が手を上げたので、どうする?と訊かれ、どちらも選べず帰りにキャプテンと、副キャプテンだった子にあんただけズルいと言われたが、万年補欠の私のセリフでしょうがと感じた事があった。

 バレー部の顧問の先生に練習でシュートを決めたら

「中田、今の感覚、忘れるなよ!」

と、声を掛けられた。

 努力しても、報われなかった結果、レギュラーになれなかったが、見てくれているから、応援してくれる人がいた。

 総合的に私の努力は報われたのだ。

自分だけが、レギュラーかサブかと気にしていただけだった。

 そこで、疑問に感じた。(高見沢)俊彦も、バスケット部でキャプテンだった。お父様が中学の校長先生で、8つ年上のお兄様は埼玉で一番、成績が良い方だと、聞いていたので、もしかして、コネ?と思ったが、TVで藤原紀香さんとシュート対決をして、正直、紀香さんはへっぽこシュートだったが、俊彦はバスケットをした人なら、分かるだろう。網がボールに吸い付くよう、リング、ギリギリの見事なシュートだった。

 お見事です。失礼致しました。函館ではあんなシュート決めれる人は多分いないでしょう。流石、全国に選ばれただけあります。

 高校からも、バスケット部に来て下さいと、電話が来たが3年間で、燃え尽きてしまったので、行かなかった。

 後で友人に、中田の事、嫌いになったと言った子に、その友人が何故?と聞くと、バスケットを捨てただからと言っていたそうで、期待に応えられなくて、すまないと感じた。