死について

 2022.6.11

 

   自分では手を抜いている、つもりはないがご覧下さる方がすくなかったり、大したことを書いたわけではないところで、ブログの反応が凄かったりする。

 私は4歳からピアノを13歳からギターを演って来た。

 後、17歳からヘルプで、ベースを弾いていた。

 バンドなら、メンバーがいたせいか、緊張しなかったが、合唱コンクールのピアノは演る前にとても、緊張する。

 自分がもし、間違いをおかしたら、クラスメイトを悲惨な結果にしてしまうからだ。

 よく、演る前に

「頑張って!」

と言われるが。自分はそれまで、血と汗の滲むような、練習をしていたから、これ以上何を頑張れと言うのか?と、感じたが、相手としては余り深い意味等なく、合言葉だから、言うのだろう。

 私は人の発表会やプロのバンドのライブ等の前は

「楽しんで!」

と言うようにしている。

 皆、強靭なリハーサルをしての、ステージだから、頑張っては違うような気がするし、自分が楽しめないのに、観てる側を楽しめさせる事等出来やしないと感じるからだ。

 人生にも、同じ事が言える。

よく、鬱病の人に頑張っては禁句なのは皆さんもご存知だろう。

 目一杯頑張り過ぎた結果、鬱病になってしまったのだから。

 人間誰もが一回は鬱病になるらしい。

それに気付くか、否かの違いだけである。

 私も鬱病になった事がある。

ベッドから、出られないのだ。

 小学校の同級生が、プロのバンドでデビューし、華々しく活躍したのを見て、次は自分だと、感じたが、母を養う為に仕事をしなくてはならなかった。

 音楽等、演っている場合ではなかった。

全て、今となっては言い訳に過ぎないが、一時期、音楽を聴く事も、出来なくなっていた。

 1990年代順の音楽は私に言わせたら、雑音同様だった。

 Uと言う、シンガーソングライターが、出て来たり、Kファミリーの直ぐに転調に走る歌が、流れて来たり、MやGと言う、女性をさも賛美している歌詞を歌うバンドが出て来たり、観るにも、聴くにも耐えない時代だった。

 私は地獄の中に落とされた。

1980年代を愁い、2000年に希望を託した。

 私だけ、アルフィーや、岡村ちゃん、ソフトバレイだけを聴いていた。

 後は洋楽。ツェッペリンや、ディープ・パープル、ジョン・レノン

 ボブ・ディランが、秋田に来た時に観に行った。

 クラシックすら、まともに聴けなくなっていた。

 そんな時に同じ病院で、友人になった子にソフトバレイのCDを貸したら、同室のAと言う女の子が、大ファンだと言い、意気投合した。

 彼女は飛び降り自殺に失敗して、歯と顎の骨が砕けて、手術で、何とか、普通の顔に戻ったが、いつも、その前の頃の写真を持ち歩いていた。

 高校の時、ミス〇〇高校に選ばれた位だから、美意識が強く

「ノンさん。私、お金貯めて整形手術しようとおもうんだ」

と言ったので

「前も確かに綺麗だけど、私は今のAの顔、大好きだよ」

これは本心から、思ったから伝えた。

 歯と顎の骨が砕けたので、歯の骨を奥にし、顔が小さくなっていたので、小顔に見えて、顔が大きい私にしてみると、羨ましい限りだからだ。

 しかし、Aにしてみると、顔が変わってしまったのに、ショックを受けていたのだろう。

 そして、大好きな遠藤遼一の声で

「お前なんか、死ねばいい!」

と、毎日、幻聴が聞こえるのだ。

 暫くして、大学病院に入院するも、家族以外は面会出来ないとの事で、暫くそっとしておいた。

 彼女の誕生日だと、思い出した私は、そろそろ、メール位は大丈夫だなと、おめでとうとメールするも、返ってくる。嫌な予感がして、電話するも、今、使われておりませんとなり、私は、彼女のお母様の携帯の電話番号を人に聞き、電話すると、実は病院で、首をくくって亡くなったそうだ。私に伝えたら、動揺すると思い、葬式も、済ませたそうだ。

 何も知らなかった。Aは気を効かして私に現れなかったのだろう。

 同じ様に亡くなった友人が、あと二人いる。一人は入水だが。お母様も、ショックが大きすぎて、確認しに行けなかったそうだ。

入水は膨張するので、自分の子かどうかも、判別しにくい。

 その子も私に

「ノンさん。私、前に川に飛び込みそうになったんだ」

と、ポツリと打ち明けられた。

 結婚が、決まっていたので、ウェディングドレスを着せて火葬したそうだ。

 もう一人は実の父も、義理の父も厳し過ぎて居場所が無くなり、ドアに紐で、亡くなったと言う。

 丁度、一週間前に、見舞いに来てくれたのにだ。

 私は落胆と、自分は何を見ていたのだろう?と、責める日が続いた。

 しかし、自分を責めても、友人達が返って来るわけではない。

 病気や事故で亡くなられても、辛いだろうに、ましてや自ら命を絶たれたら、悔しさは計り知れない。

 ある時、札幌に住んでいる友人が

「子供さんを病気で亡くされて可哀想に」

と、言ったが、こっちは自殺で、3人亡くなっているんだよ!と、怒鳴り付けたかったが、彼女には分からないので、私は黙っていた。

 誰も、子供に先立たれたら悲しいし、ましてや、自殺なら、悔いだらけだろう。

 そんな辛さを分からない人が、今日も、贅沢な悩みで、亡くなったと言った。

 ふざけるな!